風 景 三 重 |
神島(神島灯台〜監的哨〜神島港) |
訪問日 |
2017年 3月 |
詳 細 |
三重県 鳥羽市にある島です。 伊勢湾口に位置する島で、周囲3.9km、面積0.76kuです。 鳥羽港から北東に約14kmの場所にあります。人口は約500人です。 名前の通り神の支配する島と信じられてきました。 作家三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台となった島です。 映画化にあたっては島内がロケ地となりました。 作品では歌島(うたじま)となっていますが、これはかつて神島が歌島(かじま)と呼ばれていたことから きています。 鳥羽から約14kmですが、対岸の渥美半島 伊良湖岬からは約3.5kmしか離れていません。 神島と伊良湖岬の間は伊良湖水道と呼ばれ、日本三海門の一つとされています。 伊良湖水道の中央部には幅1200m、長さ3900mの伊良湖水道航路が設定されており、 この狭い航路内を名古屋港や四日市港など伊勢湾を代表する港を往来する船舶が航行しています。 特に背の高い自動車運搬船などのRO-RO船が通過すると、狭さと相まって迫力があります。 地形は全島がほぼ山地となっており、平地はほとんどありません。 集落は島北西の斜面に密集しており、島の反対側には神島小学校・中学校があるのみです。 南側にはカルスト地形があり、白い塔の様な岩がそびえ立っています。 伊良湖水道に面した山の中腹には、日本の灯台50選にも選定された「神島灯台」が建っています。 レンズはLU-M型、閃白光 18秒隔て12秒間に3閃光、光度 37万カンデラ、光達距離 23.0海里(約42.6km)、 塔高11m、灯火標高114mです。 江戸時代に幕府によって菅島に御篝堂(おかがりどう)、神島に御燈明堂と呼ばれる灯台の前身となるものが 建設されました。 菅島の御篝堂は1873年(明治6年)に日本で20番目となる近代灯台 菅島灯台に更新されましたが、神島の御燈明堂は 廃止となりました。 1908年(明治41年)7月に戦艦朝日がのちに朝日礁と名付けられる暗礁に接触する事故が発生し、これが一つの契機となり 神島に灯台が建設される事になりました。 1910年(明治43年)5月初点の神島灯台は、当時光源の主流だった石油ランプ式ではなく自家発電を備えた電気式灯台 でした。これは1901年(明治34年)にアーク灯へ変更となった尻屋埼灯台に次いで日本で2番目の電気式であり、白熱球を 用いた灯台としては日本初です。 1967年(昭和42年)に鋼鉄製から現在のコンクリート造に建て替えられました。 2006年(平成18年)に第4等フレネル式三連閃光レンズから現在のLU−M型灯器に更新となりました。 戦時中に旧陸軍によって建てられた監的哨跡があります。 伊良湖岬の南にあった大砲の試射場から放たれた砲弾の弾着観測に使われていました。 現在は綺麗に整備され展望所も兼ねています。 高台にあるのと元々観測用に建てられた為、見晴らしはとても良いです。 小説「潮騒」のクライマックスにも登場します。 神島は世界で初めて無線電話が実用化された場所でもあります。 伊良湖水道を通過する船舶の状況を本土を伝える為に使用されました。 神島灯台から答志島経由で鳥羽導灯まで無線電話で連絡し、鳥羽導灯から鳥羽郵便局までは有線電話を、鳥羽郵便局からは 各船会社などに電報で状況を送信していました。また、島民の公衆電話としても利用されていました。 無線電話は1914年(大正3年)から1956年(昭和31年)まで運用され、伊勢湾各港に入港する船舶の正確な入港時間の 把握などに寄与しました。 鳥羽市街の後方にある日和山に記念碑が建てられています。 使用されたTYK式無線電話機は、日本人が発明したもので開発者の頭文字(T:鳥潟、Y:横山、K:北村)から取って名付け られました。 |
行き方 |
鳥羽市から市営定期船が出ています。鳥羽港から約40分です。 近畿自然歩道が整備されており神島を1周する事が出来ます。 島自体が山地となっており平地がほとんどありません。集落内を含めほとんどが坂道です。 集落を出ると民家や自販機は無いので、水分補給は注意がいります。 |